丸山重威 (関東学院教授)【いまを読む−若者のためのメディア論】(6)

きょう、何を報じるか  年末年始の「マスコミ現場」08/12/31

 


【いまを読む−若者のためのメディア論】(6)

◎きょう、何を報じるか

 年末年始の「マスコミ現場」

 

 2008年12月31日。東京・日比谷公園では、この日でクビを切られ、住む家もなくなる人も多い派遣労働者を意識して、「年越し派遣村」を開く。

 「派遣切り」「解雇」「契約更新拒絶」などの労働相談をはじめ、住居、生活などの「相談」に乗り、朝・昼・晩の「炊き出し」をして食事を提供し、それに、ハローワークが開く1月5日までの「簡易宿泊」をさせるという取り組み。

 派遣法反対や反貧困運動に取り組んできた団体が一緒になって開くもので、名誉村長が反貧困ネットワーク代表の宇都宮健児弁護士、村長は「もやい」(NPO法人自立生活サポートセンターもやい)の湯浅誠事務局長、事務局は、もうずっとユニオン運動をしてきた「全国ユニオン」が務める。

 年の瀬に、労働者を放り出して平気な企業と、それに十分な手を差し伸べることができない政治に腹が立つが、「どっこい、それなら、生きてやる」というこの取り組みには文句なく拍手を贈りたい。

 そして大事なのは、こうした人々の実態とそれへの取り組みをきちんと伝えること。たぶん、地方にも大変なところがいっぱいあるから、こうした取り組みは東京だけではないかもしれない。その動きがどう伝えられるのか。

 今年の場合、この寒空に、職場や住居を放り出された人がいて、それを助けようとする人たちがいる。そんな取材の中で記者が何を学び、きょうあすの紙面に何を書いて、もう少し長い目で、何を今後に生かすか。いま、日本中でこのことを考えなければいけないはずだ。そんなことに、マスメディアが信頼されるかどうかがかかっている。

 

 ▼「できたてのお雑煮」か「おせち」か

 

 新聞は元日が新聞休刊日で、2日付はお休み。だから、各社とも、元旦の1面トップの特ダネを競う。銀行の合併だとか、外国の要人との単独会見とか、話題のように取り上げた干支に因んだ話も「事件」に発展したりする。その年を象徴するような連載企画をスタートさせ、その第1回をトップにするケースも多い。いずれにしても新聞社としては、その記事で新しい年を象徴させたいわけで、知恵比べ、力比べが行われている。

一方で、新年の空いたときに出そうという「暇ダネ」も用意されていて、毎日順繰りに紙面化される。だから、新年の記事は、「できたてのお雑煮」もあれば、もう前から仕込んであった「おせち」もあるわけで、その見極めが大切だ。

 国税庁の担当だった1970年の新年、私が書いた「おせち」は、「税務署もコンピューター時代へ」だった。確かこの年、京橋税務署にコンピューターが導入され、税務のコンピューター処理が始まっている。

それはさておき、新聞社には基本的に年末も年始もない。元旦は新聞休刊日で、新聞社によっては本当に空っぽの状態になるところもあるようだが、私が務めていたのは通信社だったから、大晦日の泊まり勤務もあったし、元旦の出勤もあった。入社した最初の年、当時の大阪社会部で元日の泊まりに当たり、大晦日に初詣のはしごをした。京都の八坂神社、知恩院、青龍院などを歩き、確か石清水八幡宮にも行って大阪に帰って出勤した。

 泊まり明けの朝、鉄橋を歩いていた家族が電車を避けられずはねられた事件があった。現場に行ったことなど、不思議によく覚えている。悲しい事件だが、これは「生もの」。できたてのお雑煮の方だった。

 経済部や政治部は元日には空っぽの時があったかもしれないが、それならそれで、財界とか政治家とかの年始回りをしてネタを仕込むには絶好の機会になる。どこかに大事な特ダネを書かれていれば、それを追いかけるのも当然。そう落ち着いてばかりはいられないのがメディアのお仕事。2009年を各紙がどう斬るか。

 

 

 ▼特集面の裏側

 

 新聞も放送も変わりがないが、経済不況はメディアに大きな影を落としている。放送ではスポンサーやCMに、新聞には広告の出稿量が減るという形で影響する。もともと、放送はデジタル化への設備投資が響いているし、新聞では、いわゆる新聞離れが進んで、広告の落ち込みが激しい。

 それだけに、もうひとつ注目したいのは、新聞で言えば、元旦号とたいてい3日付、4日付くらいまでは続く、「新年特集」だ。今年あたり、どの程度の厚さになるか。そのページ数と、広告の内容、質、つまり大手スポンサーがどの程度あるか、などといったこといが、一種、景気の指標にもなる。

 分厚い元旦の新聞は、実は12月の半ばくらいから刷り始めている。この時期真cでに、特集の記事と、それを支える広告の出稿は終わっていないとできない。

 いまもたぶん変わってはいないだろうが、私が現役でいたころ、加盟紙に新年用の原稿を提供する共同通信では、夏休み明けからテーマ設定に入り、準備に入る。メニューが決まったところで加盟社に案内して会議を開き、提供する記事の内容を説明しながら、それぞれの新聞に「来年のイメージ」を固めてもらう。11月には大部分の原稿ができあがって、配信を始めていた。新聞社はそれぞれ自社の企画と組み合わせて特集面を作り始めるから、早いに越したことはないわけだ。

 これは余談だが、昭和から平成に移る時期の新年原稿は大変だった。もしかして天皇が年内に亡くなられたら、新聞の日付に「昭和64年」と刷り込んでいると、存在しない年号を書いた新聞が配られることになる。歴史上存在しない「景初四年」という年号が刻まれていて大論争になってしまった「三角縁神獣鏡」ではあるまいし、そんな新聞を造るわけにはいかないから、各社とも大変だった。昭和天皇は年を越して、無事「昭和64年」を迎え、1月7日に亡くなったが、早めにすらなければならない特集面には年号を入れないままにした、という苦肉の策を取った新聞社もあった。

このころを契機に、かなりの新聞社の欄外にある日付の表示が、「年号(西暦)」、つまり、例えば「平成21年(2009年)1月1日」から、「西暦(年号)」、例えば「2009年(平成21年)1月1日」が多くなった。右翼が騒ぐというので、特に宣言することもなく、大部分はこっそり変えた。

いずれにしても、新年号の特集は、その新聞が、その年をどう見ているか、を示す大事な指標であると同時に、一方で、その「厚さ」や、広告の中身は、新聞の懐具合を占う指標。そう思ってみるのも大切だ。

2008.12.31